更新日:2016年10月1日
港の繁栄の歴史を示す多くの遺物が点在する歴史公園
日本海に沈む夕陽が旅情をかきたてる日和山公園は、桜の名所でもあり、毎年4月には酒田日和山桜まつりが開催されます。園内には、日本最古級の木造六角灯台や方角石、往時活躍した千石船(2分の1で再現)などがあり、港町の風情を醸し出しています。
所在地 | 酒田市南新町一丁目 |
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開館時間 | 常時入園できます。 |
休館日 | 常時入園できます。 |
料金 | 無料で利用できます。 |
交通アクセス | 12時、13時台の便は酒田駅より市営るんるんバス酒田駅大学線5分、日和山公園下車、徒歩すぐ |
駐車場 | 普通車 106台 (うち障がい者用4台) |
お問い合わせ | 酒田市整備課 電話:0234-26-5745 |
バリアフリー状況 | 一部スロープ、トイレ有り |
河村瑞賢庫跡
常夜灯
方角石
酒田港は米の積出し港として賑いましたが、大消費地、京都・大阪・江戸への海上運搬はせいぜい若狭の国のあたりまでで、その後は陸路を積替えて運送するか、川運か海路にしても積替えが多く、多大の日数と労力を要し、米の変質もあったりで経済的には成立しませんでした。
その為幕府は、急増する江戸人口の食料供給の方法として酒田港より幕府直轄地(天領)の御城米を江戸に直送することを河村瑞賢に命じました。
寛文12年(1672年)正月、瑞賢は手代雲津六郎兵衛を酒田に派遣。この日和山に東西151メートル、南北96メートル、14,542平方メートルの土地に1,843本のクイをめぐらし、堀や土壘を築いて御城米置場を完成させました。その間、人足30,398人、亀ヶ崎足軽450人、鶴岡から100人、普請奉公も現場に出張するという大騒ぎであったといわれています。
河村瑞賢の庫跡は、公園の西端に高さ2メートルの記念碑として残されていて、上部から見ると『米』の字がかたどられているのがよくわかります。
文化10年(1813年)酒田に寄港する北国廻船の航海安全を祈願して建てられました。高さ約3メートル、酒田港繁栄のシンボルとして保存されています。
かってこの丘から船頭たちが日和や風の方向を確かめるときに使用したもので、直径0.71メートルの御影石で造られ、表面には12支に東西南北の文字が刻まれています。
現存する方角石としては日本最古のものと言われています。
神明坂
石鳥居
千石船
木造灯台
日和山の南端、船場町に降りる処に古い石段があります。これは本間家4代光道が、文化14年(1817年)船頭や丁持(船からの荷物を運ぶ作業員)たちが荷物を運ぶ便を考えて築いたもの。
この神明坂を登ると神明神社の前に出ます。その境内の右側に金毘羅神社があり、天保2年建立の石の鳥居が立っています。
西廻り航路の開拓により、庄内米を酒田港から江戸に回漕するために活躍した千石船を実物の二分の一に縮尺して再現したもので、日本海沿岸をかたどった修景池に白い帆を張って浮かべられています。
明治28年(1895年)宮野浦に初めて洋式木造六角灯台が建てられました。高さ12.8メートル、一辺の長さ約3メートル、光源は最初が石油ランプ、大正8年(1919年)アセチレンガス灯、そして、大正12年(1923年)大浜に移転後2年にして電化点灯式となりました。
昭和33年、近代式灯台が完成し不用となり、現在地に保存されています。日本最初の洋式灯台は、明治2年(1869年)神奈川県観音崎灯台ですが、木造灯台として残っているのはこの灯台が最古のものと言われています。
酒田には、松尾芭蕉などの多くの文人墨客が訪れ、優れた作品を残しています。
その作品を29基の文学碑にし、「文学の散歩道」として設置。
酒田のその時々の面影が偲ばれます。
地域創生部 交流観光課 観光戦略係
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